
第2回田中宏明我塾(2024年12月12日)
議論先導者:田中宏明 STUDIO MEMBRANE デザイナー
《プロフィール》
田中宏明
STUDIO MEMBRANE デザイナー|慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科後期博士課程在籍|修士(芸術教育)|学士(プロダクトデザイン)|人間が何かを生み出す創造と学習のプロセスを解明するために、自らもつくり続け、学び続けている。 https://www.studio-membrane.com/
《テーマ》
“創造行為とは何か? マンガにおける「フレームの冒険」”
《アブスト》
マンガという表現は、絵画や絵本でも、映画やアニメでもありません。では、それらの表現とマンガを区別する特徴は何でしょうか?
それは、「コマわり」だと言われています。
絵画や絵本、映画やアニメは、基本となる画面枠=フレームが固定されています。これらのメディアでは、紙芝居のように、同じ枠内の絵やショットが変化していきます。対してマンガは、紙面やデバイス上の画面枠内に複数のコマを並置することで、図像的連帯性を生み出す操作をおこないます。
確かに、平面を分割して、画面の中に複数のコマを配置して世界を切りとり表現することは、マンガの特徴であると思えます。
しかしながら、「コマわり」とは、一体どういう創造行為なのでしょうか?
「コマわり」を「モンタージュ」として理解することもできますが、それでは、映画とマンガとの差異がどこかに隠れてしまうでしょう。また、日本で流通している「コマわり」という用語を、「コマ」に「わる」と解するならば、そこには、マンガに「コマ」が不可欠であるという暗黙の前提が隠れているようです。果たして、マンガに「コマ」は必須なのでしょうか?(海外に目を向けると、フランスで「コマわり」に相当する単語が「découpage」(分割する)であり、米国では「breakdown」である点にも、注意が必要だと思われます)
「コマわり」とは何か?
考えはじめると、とても奥が深い行為です。
今回の我塾では、「コマわり」という創造行為の本質を掴むために、マンガのつくり手たちの実践に着目して、いくつかの具体例や考察を手がかりに、「コマわり」について考えていけたらと思います。